写真家の自由について考えてみました・1 - 「ちょこすな散歩写真」です。

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清野賀子さんの言葉

写真家は写真の後ろに隠れているべきであり、

写真をめぐって、その舞台裏を語ることには、

ほとんど意味がない

こうようきぶんで

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写真家の自由について考えてみました・1


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写真家にとって自由と言うのは
自分の思い通りに写真が撮れることではないと思います。

思い通りに撮っているようですが
それは過去の成功体験に基づいて撮っている気がします。

その成功体験と言うのは
自分自身の上手く撮れた経験だけではなく
教室の先生や本の著者の体験も含まれます。

過去にこれから撮ろうとしていることに類似した経験を思い出し
それをアレンジして撮っているのだと思います。

人間はまったくゼロからは何も生み出せません。
ゼロに何を掛けてもゼロですから。

繰り返しになりますが
写真を思い通りに撮ることの中心には過去があり
思い通りに自由に撮るというのは幻想だと思います。

それをセンスや個性や美意識という言葉のパッケージを使って
包んで見えなくしているだけの気がします。
センスや個性や美意識も過去に属しているからです。

写真家の自由とはそのようなところにあるのではなく
いろんな制約はあるものの
自分が気が済むまでシャッターを押し続けていられることにあると思います。

シャッターを押すことの快感を味わえることは
写真家(というよりカメラを持つ人すべて)の特権だと思います。

SNSに写真を投稿することが盛んに行なわれているようですが
SNSはきっかけにすぎず、写真がブームだとしたら
それはシャッターを押すことの心地よさに原因があるのかもしれません。

写真家はシャッターを押すことの快感を味わえることで
十分に報われているように思います。





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