写真家の自由について考えてみました・2 - 「ちょこすな散歩写真」です。

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清野賀子さんの言葉

写真家は写真の後ろに隠れているべきであり、

写真をめぐって、その舞台裏を語ることには、

ほとんど意味がない

こうようきぶんで

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写真家の自由について考えてみました・2


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写真はカメラという機械を必要とする
考えようによってはとても不自由な表現手段だと思います。

音楽なら自分の声(のど?声帯?)を楽器にすることが出来ます。
絵画なら硬い石で岩壁面などに描くことが出来ます。
草など自然にあるもので色を作ることも出来ます。

音楽のジャケットなどに演奏に使った楽器名などは
たしか記載されていないですよね?

絵画のことはよく分からないのですが
描いた時の絵筆や絵の具のメーカーなども
展覧会の目録(?)などに書かれていないのではと思います。

ところが

写真の場合、雑誌などのフォトコンテストなどには
カメラ名やレンズ名、それに今は画像ソフト名なども載っています。

それは写真という表現手段には
カメラなど機材などが重要な要素だということではないでしょうか?

写真家はカメラやレンズがなければただの人のように思えてきます。
何だかとても不自由です。
撮影中にカメラが壊れたらジ・エンドでどうしようもありません。
まあ、そのために予備のカメラを持っていればいいですが・・・

写真家はカメラや画像ソフトを自由自在に操る存在ではなく
それらに左右される存在だと思います。

写真に限って言えば、何でもできることが自由なのではなく
そういった不自由さを受け入れたうえで
どのようなことが可能かを考えるしかない気がします。

写真家の自由とは撮影や画像処理の中にあるのではなく
自分が撮影したカットの中からどれを選ぶか
それらからどのような言葉を生み出し付与するか・・・
そういったことの中にあるのではないでしょうか?

最近は肖像権やプライバシー、モデルさんとの契約関係など
いろいろ制約はありますが、
これらのことはまた別の機会に考えたいと思います。







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