松尾芭蕉の「不易流行」と写真の「新しさと古さ」、あるいは「変わるものと変わらないもの」 - 「ちょこすな散歩写真」です。

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藤岡亜弥さんの言葉

見えているから撮っていると思っていたけれど、

むしろ撮ったからこそ見えてくる。

山のむこう

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松尾芭蕉の「不易流行」と写真の「新しさと古さ」、あるいは「変わるものと変わらないもの」



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人は新しいことが好きですが
そのいっぽうで完全に新しいことにも少し抵抗を感じるところがありますよね?
新しさを受け入れるためには古さみたいなものも欠かせないのだと思います。

写真の世界もドンドン日々更新されていきますが
やっぱり古いことから完全に離れることは出来ないようです。

写真について新しい美学に触れているような記事も
よく読んでみると、その陰にけっこう古い美学が隠れているように感じることもあります。
最新のカメラやレンズで撮られた作品が
古い美学で撮られているように思えることもあります。

俳人の松尾芭蕉が「不易流行(ふえきりゅうこう)」とか言っています。
俳句のことは「プレバト」でしか知らないのですが(笑)
簡単に「変わらないものと変わっていくもの」のことだと思っています。
そのどちらも大切だということなのでしょう。

新しいもの=光にどうしても目が行きますが
古いもの=陰=闇のことにも心を配りたいと思います。
光は闇の中から生まれてくるものではないでしょうか。


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写真の世界も激変中で、「写真って何?」と問う前に
「その写真って何か」という定義があいまいになっている気がします。
古い写真の考え方をしている私など
「これが写真?」という作品の前でただオロオロするばかりです。

ただ、そのような新しい時代の作品にも目を向けるとともに
「写真」を支える「不易」のようなものにも意識を向けることも
大切なのではと思うのです。

さらにいうと

変わる、変わらないとか、
新しい、古いとかいった表面的なこととは別のところに
「写真」というものがあるような気がします。

それが何かはまったく分からないのですが・・・


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