写真の場合、「綺麗」と「美しい」は別に考えたほうがいい?2 - 「ちょこすな散歩写真」です。

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ゲイリー・ウィノグランドの言葉

私にとって写真の特性とは、わずかばかりの現実性
たとえそれがどんなにささいなものであれ、
フィルム上にとらえることなのだ。
そのあとに、もしその現実性が私以外のだれかにとって
何らかの意味を持つことがあればそれはそれでいい

咲いた。咲いた。桜の花が。

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写真の場合、「綺麗」と「美しい」は別に考えたほうがいい?2





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前回の続きです。

「綺麗」の反対は「汚い」です。そして「綺麗」「汚い」は
たいていの場合、ほとんど誰もが同じ感じ方、分け方をしますよね?

汚い川を見て「綺麗な川やな」という人がいたら
その人のそばから離れるのが賢明です。

いっぽう「美しい」の反対は「醜い」なのですが
「綺麗」「汚い」のようにはハッキリした境目がないように思います。

「美しい」「醜い」には好き嫌いや育った環境などの個人的事情が
とても大きく影響してくるからではないでしょうか?

そう考えると、写真の場合、
「美しい写真」は「綺麗な写真」ほどには共通するところは持ちにくいように思われます。

人は他のモノに接する時、共通点がないと理解しにくいし、
理解できないと同感、共感しにくいですから
「綺麗な写真」のほうに心を惹かれるのではないでしょうか?

もちろん

「綺麗な写真」が「美しい写真」であることが多いと思うのですが
「綺麗な写真」から外れた「美しい写真」もあり得ることは
写真する上で考えておきたいのです。

それが「いい写真」であるかもしれないからです。
ひょっとすると・・・






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