「その花が美しいのは、美しいと感じるあなたの心が美しいからです」ということ - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

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藤岡亜弥さんの言葉

見えているから撮っていると思っていたけれど、

むしろ撮ったからこそ見えてくる。

沈黙の季節

せかいはあまりにもさわがしすぎて なにもきこえないなにもみえない
だからいまおしゃべりをやめるとき ちんもくのきせつ

「その花が美しいのは、美しいと感じるあなたの心が美しいからです」ということ



「なぜその花が美しいのですか?」と問うと、たいていは
「その花が美しいからで、美しいに理由は要らない!」といったような、
答えにならない答えが返ってきます。

いっぽう

「その花が美しいのは、美しいと感じるあなたの心が美しいからです」
という言葉がありますが、詩的な表現としてはとてもいいですよね。

でも、それも答えになっていないように思います。
言ってることは「その花=あなたの心=美しい」ですから
「その花が美しいから美しいのです」と同じです。
その花がなぜ美しいのか、あなたの心がなぜ美しいのかの説明になっていません。

そう考えると、美学などの難しいことは分かりませんが
「美しい」ということの絶対的な根拠はないのでは?と思えてきます。

なぜなら、「美しい」と感じるのが人によって違うからです。
「美しさ」は個人個人の経験などによって決められるのではないでしょうか?


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例えば、世界に好奇心満タンの幼児は汚いものでも平気で触ろうとしますよね?
あわててお母さんが「バッチーから触ってはダメ!」と止めに入ります。

逆に、咲いている花を見ていると「この花、綺麗だね」と話しかけられます。
子どもはそのようにして学習していくのではないでしょうか。
とても単純化しすぎる説明ですが
「花というモノ」=「綺麗とか美しいという言葉」と結びつけて記憶するのです。

そのことは育った環境(両親、先生、近所の人など)だけではなく
国や時代などもとても影響している気がします。

そうだとすると「平成の美しさ」は
「新しい時代の美しさ」としては見向きもされなくなるかもしれません。
「美しさ」には賞味期限があるのでしょうか?
平安美人は平成美人と同じだったのでしょうか?


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「美しい」というのはその時代、その地域に暮らす人たちが
共通して見る夢のようなものであり、
「美しさ」というモノには実体はないのかもしれません。

写真も「美しさ」にこだわってきたと思うのですが
もうそのことを最優先しなくてもいいい時が来ているのではないでしょうか?


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「美しさ」がどうでもいいということではなく、それも大切なのですが、
画像としての「美しさ」は「綺麗さ」と同じだとすると
カメラに任せても大丈夫な時代になったと思うのです。

押せば先ずは綺麗に写せるのですから
もっと他のモノにも目を向けてもいいのでは、と思うのです。
ただ、それが何かはまだよくは分からないのですが・・・

もちろん

「美」というモノはとても簡単には語ることは出来ないモノであって、
ここで書いたことは完全に的外れなことかもしれません。





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