写真・元気をなくさせるホントではなくて、元気にしてくれるウソのほうがいい。 - 「ちょこすな散歩写真」です。

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ゲイリー・ウィノグランドの言葉

私にとって写真の特性とは、わずかばかりの現実性
たとえそれがどんなにささいなものであれ、
フィルム上にとらえることなのだ。
そのあとに、もしその現実性が私以外のだれかにとって
何らかの意味を持つことがあればそれはそれでいい

咲いた。咲いた。桜の花が。

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写真・元気をなくさせるホントではなくて、元気にしてくれるウソのほうがいい。




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写真は真実一辺倒ではなく
ウソとホントが両立するところが面白い、言い換えれば
写真の力みたいなものだと思います。

写真は「ホントに見えるウソ」であり「ウソに見えるホント」なので
「写真=真実、つまりホントを写すモノ」と
決めつけないほうがいいと思うのです。

写真は人工物ですから自然のまま、ありのままというのは違うと思います。
ホントというのはそれ以外にはあり得ない、唯一のモノですから
写真がホントだけを写すとしたら誰が撮っても同じ写真になるはずであり、
また、見れば分かるはずです。

でも、そんなことってないですよね?

繰り返しになりますが
写真が再現としてのウソかホントかにこだわらなくてもいい時代だと思います。

もちろん、記録としての写真にウソはだめですが
それは写真に添える言葉の役目だと思います。
その写真を発表する人(の言葉)を信じられるかどうかですね。

そうだとすると、写真に限って言えば
元気をなくさせるホントではなく
元気にしてくれるウソのほうがずっとかいいし
大歓迎してもいいのではないでしょうか?

リアルとバーチャルの区別が限りなくあいまいになりつつある今、
ウソとホントの境目もよくわからなくなってきている気がします。

写真にとって大事なのは現物の再現描写としてのリアリティーではなく
写真として表現されたリアリティーではないでしょうか?

そのリアリティーが見る人にどんな影響を与えることができるのか、
それが写真家に問われているのだと思います。
写真家が技術力で勝負する時代は終わろうとしている気がします。

一アマチュアが言うのも生意気で、すみませんが。







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