くどいですが、「写真は質より量のアートだ」ということについて - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

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ゲイリー・ウィノグランドの言葉

あるのは写真だけだよ。
いちど作品が出来上がったあとには、
それを作ったアーティストは無関係だ。

                     (太陽 1989年11月号P108より)                                                                                                                     

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くどいですが、「写真は質より量のアートだ」ということについて



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写真は「質より量のアート」と言われています。

野球のホームランに例えると
すべての打席でホームランを打つことは不可能だから
出来るだけたくさんの打席でバットを振る必要があるということなんですね。

それはやみくもにバットをブンブン振ればいいってモノでもないことは
言うまでもありません。

写真もでたらめにシャッターを押せばいいというモノではなく
「すべてのカットを決めてやるぜ!」という気持ちは必要です。

ただ、だからと言って気持ちも指先もガチガチに力んでしまうのは考えもモノで
100カットで2、3カット、いい写真が撮れればいいという
開き直りみたいなモノも大切だと思います。

その気持ちがリラックスにつながり、
視野を広く明るくして、目の前の被写体をよく見れるようになれるからです。

野球の場合、下手なバッターはほぼ100%ホームランを打つことは難しいですが
写真の場合は、ビギナーやアマチュアでも
ベテランやプロなみのいい写真が撮れてしまうことがあるんですね。

フィルム時代はそういうことはまれだったとしても
デジタル写真の時代になってからは、けっこうたびたび起こっている気がします。

まあ、「そんなのビギナーズラックや偶々(たまたま)だよ。偶然に頼っていてはダメ!」
という人もいますが、偶然も実力の内ではないでしょうか?

他のアートは分かりませんが、写真というアートは何年写真をやっているか
つまり写真歴みたいなものはあまり関係ないんですね。
写真の実力(この言葉でいいのかは分からないのですが)は
経験という時間とはリンクしていない気がします。

むしろ経験過多がその写真家を狭い世界に閉じ込めてしまう、
そんなこともあるのではないでしょうか?

また、いい写真を撮れるようになるには
センスや美意識や絵ごころなどといったものもあまり関係ない気がしています。
このことはまた別の機会に書いてみたいと思います。

話があちこちに行きましたが
写真はまずたくさん撮ること・・・そこから始めるアートだと思います。

そもそも写真はどれがホームランなのかはよく分からないところがあります。
写真家は打ったボール=作品をホームランと思って発表するのですが、
そのあとはその作品がホームランかファールかは、
見てくれる人の判定に委ねるしかありません。

写真家に出来ることは、とにかくたくさん撮ること、とにかく発表し続けること、
そして、迷いながらも写真について考え続けること・・・だと思います。





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