では写真家はいちばん注目されない「カナシイ存在」なのでしょうか? - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

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清野賀子さんの言葉

写真の意味があるとすれば、

「通路」みたいなものを作ることができたときだ。

街はもっと美しい

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では写真家はいちばん注目されない「カナシイ存在」なのでしょうか?



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写真家は被写体がなければ行動を起こせません。
頭の中のイメージを写すことは出来ないのですから。
被写体選びが強調されるのは当たり前といえば当たり前なのです。

そして、その被写体を写すにはカメラやレンズが要ります。
カメラがなければ写真家はただの人です。
撮影中にカメラが壊れたり、電池が無くなったりした時、
予備のカメラや電池を持って来ていなければ写真家は「路傍の人」です。

絵なら岩に釘などで描くことが出来ます。
そこまでしなくても鉛筆でチラシの裏に絵を描くことも出来ます。
草笛でメロディーを奏でることが出来ます。
口笛を吹くことも口で歌うことも出来ます。

では写真家はいちばん注目されない「カナシイ存在」なのでしょうか?
いえ、そんなことはないと思います。

写真家は発表した写真、作品というのでしょうか、
その中で最初からは目立たないほうがいいからです。
作品を見る人にとって必要最小限の情報だけで見てもらうほうが
見る人に先入観などのフィルターを与えなくていいからです。

見てもらい、その人なりの感じることがあった時、
この作品を撮った写真家のことを知りたいと思ってもらえた時に、
その人の前に静かに写真家が現れればいいのではないでしょうか?

自分の写真(作品)を見てもらうべき人、本当に見てくれる人は
大声を上げなくても、現れる時が来れば現れるのだと思います。
そのためには発表し続けるしかありません。
必ず現れるという保証がなくても・・・

写真家とは作品の中では
自分を消すことで自分を表現する人のことではないでしょうか?
自分を100%消せる人が優れた写真家なのではないでしょうか?

写真家は写真だけでは勝負(?表現)することが出来ないのだと思います。
森山大道やアラーキーなどの写真家が莫大な文章を書き続けてきたのは
写真そのものでは自己表現が出来なかったからだと思います。

写真家=写真を撮る人の時代は終わったのではないでしょうか?
いえ、もともと写真は写真単独ではいられない表現手段だったのだと思います。

「見れば分かる」ではなく
「見ても分からない」のが写真というアートだと思います。

「被写体」も「カメラ」も「写真家」も
「写真」のために存在しているのかもしれません。
そうだとすると「優先順位なんて、そんなの関係ねえっ!」と(写真から)言われそうです。




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