写真家は飽き性?デジタル時代の写真家のすることは何なのでしょうか? - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

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清野賀子さんの言葉

写真の意味があるとすれば、

「通路」みたいなものを作ることができたときだ。

街はもっと美しい

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写真家は飽き性?デジタル時代の写真家のすることは何なのでしょうか?



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ニンゲンはすぐにものごとに慣れてしまい、そして飽きてしまい
「つまんなーい。もっと他にないの?」なんて言いだします。

そして新しいものに飛びついては、上に書いたようなことを繰り返すのです。

でも、完全に新しいものが現れると
「これ何?こんなわけの分からないものならいらない!」と拒否します。

新しいものの中に自分たちが馴染んで来ていた
古いものが入っていないと受け入れられないようです。

最先端の技術がぎっしり詰まったデジカメで撮られた写真を支えているのが
フィルム時代にもあった写真についての美学だったりすることって
あり得るのではないでしょうか。

フィルム時代には考えられなかった
高画質の「ものすごく綺麗な」写真が作品化されています。
数字にはキリがないのでこれからも画素数は増え続けることでしょう。

ただ、私に写真を見る目がないだけかもしれませんが
最新のデジカメを使って撮られたプロ写真家の作品が
これまであった美学で撮られているように感じることがあります。

写真の撮り方の本などにしても、以前は考えられなかったくらい
詳しく、分かりやすく解説されていますが
その内容、写真観はフィルム時代とそれほど変わっていないように思うのです。

最初に書いたように、ニンゲンはすぐに飽きてしまう生き物だと思うのですが
写真の撮り方の美学みたいなものは普遍、あるいは不変だから
飽きるという言葉は違うのでしょうか?

最新の技術を追い続けるのが写真家なのだという意見もあるようですが
新しい機種、新しい周辺機器などを新発売のたびに買い換えるのも
考えただけでもしんどくなってきます。

新しい技術=新しい表現なのでしょうか?
最新のカメラは新しい表現を約束してくれるのでしょうか?
技術と表現は別の次元に属しているのではないでしょうか?

それに「新しい表現」って何なのでしょう?
技術は進歩、進化するものだと思いますが
表現というものは変化するものであって、進化とは縁がない気もします。

写真家のすることは最新のカメラを使うことではなくて
写真というメディアに何が可能か、
そのためにはどう表現したらいいのかを追求することではないでしょうか。

その時に最新技術のカメラなどが必要なら採用すればいいし、
要らなければそれでもいいのだと思います。

新しい技術に飽きることはあっても
写真表現に飽きることはないのではないでしょうか。

写真に関する新しい技術について必要だと思うことには関心を寄せながらも
最新の技術を追うことを中心に時間を費やすのではなく
写真撮影に、写真について考えることに時間を費やすのが写真家だと思います。


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