日本カメラ8月号特集「写真がよく見える トリミングの奥義」はごった煮でした。4 - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

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清野賀子さんの言葉

写真の意味があるとすれば、

「通路」みたいなものを作ることができたときだ。

街はもっと美しい

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日本カメラ8月号特集「写真がよく見える トリミングの奥義」はごった煮でした。4




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60~70年ごろの作品作りに使うカメラは主に35ミリフィルムでしたから
必然的にトリミングすることは画質を低下させることになります。
そうならないためには「ギリギリの完璧なフレーミング」「トリミングは絶対ダメ!」という
考え方になっていったのではないかと上野(修)さんはおっしゃっているんですね。

私の読み違いかもしれませんが
35ミリフィルム⇒画面が小さい⇒トリミングして拡大すると画質が低下する
⇒ノートリミングで印刷、またはプリントする⇒それを作品とする
ということですね。

でも時は流れて、今はデジタル写真の時代になりました。
昭和を思い出すには平成を超えなければならない時代です。
写真画像については「高画質」に「超」がいくつ付くねん!みたいになってきました。

「トリミングしたら画質が低下する?何寝ぼけたことゆーてんねん!
もしもしカメよ、カメ爺さ~ん♪」なんて歌が私には聞こえてくるのですが・・・
幻聴でしょうか?

ふざけてしまいましたが、フィルム時代にどっぷりつかってきた私には
今のデジタル写真の世界はまるでパラダイス、夢の国、別世界のようなものなのです。

そういう時代になったのですから、上野さんは
「ノートリミングにこだわるのは、不可能であり、ナンセンスだろう」とおっしゃっています。

デジタル写真ではレタッチでいくらでも画像を加工・修整、
つまり自由自在に調整できるから、こだわることは意味がないということなんですね。

「可変」「可逆」という言葉を使っておられますが、
要するに、いくらでもやり直しが出来る、いくらでもいろんなことが試せる、
それで画質が低下することはないのだから・・・ということなんですね。

でも、そうでしょうか?
「ノートリミング」というのは写真家ひとりひとりの選択ですから
「ノートリミング」にこだわってもいいし、それがナンセンスだとも思えないのですが。

前にも書きましたが、私の勘違い、知識不足かもしれませんが
「ノートリ神話」というようなものは、そもそもなかったような気がします。
「ノートリミング」にこだわる写真家や、そのグループみたいなものはあったかもしれませんが
写真界全体で「ノートリ神話」の時代みたいなものはなかったのではないでしょうか?

今でも「ノートリミング」にこだわっている写真家がいるでしょうし、
そのことがナンセンスだとは思えません。

画質の低下=作品として劣化なのでしょうか。
「ノートリミング」と画質とは直接関係ない時代が、今のデジタル写真の時代なのだと思います。

レタッチで何でも出来る、いろんなことが出来るから自由なのではなくて
「ノートリミング」でもOK、「思いっきりトリミング」でもOK・・・
どちらでも選べるから自由なのだと思います。

続きます。





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