「フレーミング」と「トリミング」は本質的には同じものかもしれません。2 - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

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清野賀子さんの言葉

写真の意味があるとすれば、

「通路」みたいなものを作ることができたときだ。

街はもっと美しい

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「フレーミング」と「トリミング」は本質的には同じものかもしれません。2





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そうなんです。
写真を撮るというのは、目で見た時のいまだあやふやなところがあるフレームを
もっとハッキリさせること、具体的なカタチ、
つまりハッキリしたフレームにすることだと言えます。

人間の目の「ボンヤリ・フレーミング」を機械の目の「ハッキリ・フレーミング」にすることが
写真撮影ではないでしょうか。

写真を撮るということは「ここだ!ここだけを入れたい!」と思う以外にあるものは
省いてしまうこと、つまり、「トリミング」することであり、
「フレーミング」することでもあるのです。

以上のように考えると「トリミング」することは、
撮影カットからさらに「ここだけを入れよう」としてレタッチの時に、
もう一度「フレーミング」して撮影することと同じではないでしょうか。

つまり「トリミング」は「リショット」であり、もう一度カメラを構えて
そのカットを「フレーミング」し直して撮影することと同じことと言えます。
「レタッチ re・touch」 は「再撮影 re・shot」も含む作業なのです。

写真を撮ることは「フレーミング」にこだわることです。
撮影時の「完璧なフレーミング」にこだわることが「ノートリミング」だとしたら
レタッチ時の「完璧なフレーミング」にこだわることが「トリミング」ではないでしょうか。

でも、写真に正解はないとしたら「完璧なフレーミング」なんてあるのでしょうか。
「完璧なフレーミング」は、それこそ「完璧なフレーミング神話」ではないでしょうか。
同じようなことが「完璧なトリミング」にも言えるのではないでしょうか。

「完璧」はその写真家にとって、あるいはその写真を見る人にとって「完璧」なのだと思います。
「完璧なトリミング」があるのではなく「完璧なトリミング」だと思う人がいるのだと思います。

「完璧」があるとしたらそこは行き止まりです。先はありません。
欠点や不足がまったくなく素晴らしいことが「完璧」なのですから
「完璧な写真(作品)」には誰も何も言えないし、もう何もすることはないのです。

写真は「完璧さ」を目指すアートと決めつけると
写真そのものというのでしょうか、写真することの面白さから遠ざかってしまう気がします。

タイトルを変えて次回に続きます。





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