こだわってはいないけれど、私の写真がほぼ100%「ノートリミング」の理由(わけ) - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

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清野賀子さんの言葉

写真の意味があるとすれば、

「通路」みたいなものを作ることができたときだ。

街はもっと美しい

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こだわってはいないけれど、私の写真がほぼ100%「ノートリミング」の理由(わけ)




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私がブログへ投稿している写真はほぼ100%「ノートリミング」です。
でも「ノートリミング至上主義者」ではありません。
「完璧なフレーミング」を目指していないし、「ノートリ神話」も信じていません。

私の写真が「ノートリミング」なのは
レタッチの時にあれこれ考えるのが「じゃーくさい(面倒くさい)」からだけです。
1つのカットに「あ~だ、こ~だ」と言って時間をかけるのが嫌なだけです。
それなら撮影カットの検討に、衰えつつあるエネルギーを使ったほうがいいのではと
思っているに過ぎません。

日本カメラの特集のタイトルのように
「トリミングして写真がよく見える」ようになるとは思えないのです。
私の写真に関しては、ですが。

「トリミング」しようとすると、どう切り取ってもヒットのように思えて、
どれが決定打なのか分からなくなる時があります。

私は、どれが完璧なのか見分ける自信がありません。
そんなわけで、私の撮る写真は「いい加減写真」だと思っています。
「適当、でたらめ」というのではなく「中途半端」でもいいと思っているんですね。

だから、完璧を目指さないからこそ「ノートリミング」なのです。
撮影時に確信はなくても、ともかくこうだと決めてシャッターを切っているのですから
そのことを受け入れたいと思っています。

写真家は写真を100%、つまり完璧にコントロール出来るのでしょうか?
機材、つまりカメラやレンズ、被写体、状況などにコントロールされるのが
写真家ではないでしょうか?

「ノートリミング」にこだわるのではなく
「ノートリミング」から写真が始まると思っています。
そのあとどうするかは写真家それぞれの選択ではないでしょうか。
「ノートリミング」=「完璧」ではないのですから・・・





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