写真・「美しい」と「綺麗」との違いにこだわる時代は終わりを告げたのかも 1 - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

conv0006_20191010232312a12.jpg


清野賀子さんの言葉

写真の意味があるとすれば、

「通路」みたいなものを作ることができたときだ。

街はもっと美しい

どれか写真をクリックすると「アルバム」のページが開きます。<>で次の写真が見れます。写真をクリックすると大きくなり、もう一度クリックすると元の大きさに戻ります。

写真・「美しい」と「綺麗」との違いにこだわる時代は終わりを告げたのかも 1



conv0051_20190812133630c04.jpg



conv0068_20190812133605972.jpg



conv0072.jpg


「花が美しいのではありません、花を見て美しいと感じるあなたの心が美しいのです」
という言葉がありますが、以前はハートのことだと思っていました。
あなたの心が美しいからそう感じることが出来るのだと。
美というものに対する感性は先天的に備えているのだと。

でも、感性というものは他からの働きかけによって作られたもののような気がするのです。
子供って、親が注意しないと平気で汚いものでも触ろうとしますよね。
綺麗、汚いは区別できないのです。

いっぽう、小さいころ両親など大人から
「この花、きれい(=美しい)だね」「美しい景色だね」とか言われ続けると
無意識のうちに花や景色というものは美しいという記憶が刷り込まれて行きます。
親自身、大人たちはなぜその花が美しく感じるかは説明できないのです。

そこに理由はありません。
大人たちも、自分が子供のころ大人たちからそう言われてきたからです。

もしそうだとすると「美しい」と言うのはたぶん記憶のことではないでしょうか?
だから、何を美しいと感じるか、どう美しいと感じるかは育ち方の違いなど
人それぞれで、とても主観的なものになるのだと思います。

「綺麗」は見た目であり、目の快楽、快感みたいなものですが
「美しい」は記憶や経験で作られた概念みたいなものだと言えます。

写真の場合とりあえず、「綺麗」と「美しい」を分けて考えたほうがいいと考えてきました。
「美しい」は五感プラス主観であり、個性とかにも関係するので人に教えることは出来ませんが
「綺麗」は視覚だけの客観なので、レタッチなどを教えることが出来るからです。

続きます。






にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村へ

↑↑写真のブログランキングに参加しています。                      クリックは記事更新の励みになり、とてもうれしいです。


コメント
非公開コメント