写真・「美しい」と「綺麗」との違いにこだわる時代は終わりを告げたのかも 6 - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

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清野賀子さんの言葉

写真の意味があるとすれば、

「通路」みたいなものを作ることができたときだ。

街はもっと美しい

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写真・「美しい」と「綺麗」との違いにこだわる時代は終わりを告げたのかも 6





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ここまで長々と理屈っぽいことを書いてきましたが
最近は「綺麗」でも「美しい」でもどちらでもいいと思うようになりました。

デジタル技術の進歩、写真で言えばカメラやレンズ、そしてレタッチソフトなどの進化(?)は
「綺麗な写真」と「美しい写真」とを区別をすることが無意味と思える状況を
この時代にもたらしたと思います。

ブログやカメラ雑誌を見たりするくらいで、写真の世界のごく一部しか知らない私ですが
強引に断言させてもらえれば、誰もが「綺麗で美しい写真」を撮れる、作れる時代が
すでに訪れているのではないでしょうか。

「綺麗な写真」と「美しい写真」との言葉の区別はもう無意味になった気がします。
「綺麗な写真」あるいは「美しい写真」が、世界中を埋め尽くし、
今も気が遠くなるくらいのカット数の写真が撮られ続けています。
そして、そのほとんどは綺麗に、美しく撮られているのではないでしょうか。

そうだとすると「美しい写真」あるいは「綺麗な写真」には
それほど遠くない未来には、もう誰も感動しなくなるのかもしれません。

いえ、感動できなくなると言ったほうがいいのかもしれません。
ごちそうが毎日続けば、いつかそれはもうごちそうではなくなるように。

これからは、「綺麗」「美しい」の追求とは別のところに
写真する面白さを探す時代になって行くのではないでしょうか。

「綺麗な写真」、「美しい写真」、あるいは「上手な写真」については
カメラやレンズ、現像ソフトなどの研究者・開発者の方に任せて
アマチュアは「自分に合った写真」を撮ってもいい時代が
来ているのではないでしょうか。

「何が何でも」と力んで写真をやるのではなく、呼吸が楽に写真をやれるという、
そんなふうに写真に関われる時代です。

もちろん「綺麗な写真」、「美しい写真」、あるいは「上手な写真」を追求するのが
「自分に合った写真」を撮ることならそれでいいと思います。
決めるのは写真をする人ひとりひとりですし
自分がどんな写真の世界の景色を見て歩きたいかだと思います。

そんな時、(たぶん)プロのように時代のニーズに合わせて歩くのではなく、
自分のニーズに合わせることが出来るのがアマチュアの特権ではないでしょうか。




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