「アサヒカメラ 9月号」特集のレタッチのし過ぎについて再び考えてみました。 2 - スナップ・風景・まち・・・そして写真。

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清野賀子さんの言葉

写真の意味があるとすれば、

「通路」みたいなものを作ることができたときだ。

街はもっと美しい

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「アサヒカメラ 9月号」特集のレタッチのし過ぎについて再び考えてみました。 2



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写真術が日本に入って来た時、
photographという言葉が「写真」と訳されたことが
もしかしたらつまづきの石になってしまったのではないでしょうか。

写真という言葉がそのままストーレトに受け入れられることで
「写真というものは真実を写すものだ」と思い込むきっかけになってしまった気がします。

いっぽう、そのphotographを「光の絵(画、または絵画)」ととらえたことも
写真のことを少しゆがめて理解することになったと思います。
photographの「graph」は「絵画」のことではなく
「(光の)像(映像、つまりイメージ)」のことではないでしょうか。

「絵画」と捉えることで写真家もまた
絵描き、画家と同じようにふるまえると思うようになってしまった気がするのです。
でも、「光の」の「の」は「が」であって、正確には主役は「光」であり
光が描いた像、イメージのことがphotograph、つまり写真だったのではないでしょうか。

私の勘違いかもしれませんが
写真家には絵画に対するコンプレックスみたいなものが少しあるような気がします。
よく「絵になる」とか「絵ごころ」とか言ったりしますよね。

何しろ写真の歴史がまだ200年に満たない(193年?)のに対して
絵画の歴史は何千年、いえ人類の誕生の歴史と同じくらいかもしれないのですから。

「写真という言葉」「光の絵という言葉」「絵画に対する負い目、コンプレックス」・・・
こういったものがレタッチのし過ぎ論争(?)の根っこにあるのではないでしょうか?

続きます。





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